1817(文化14)年 寺町二条下ル三嶋新古美術蔵「鷹山の鄙型(財団法人鷹山保存会のパンフレット(裏))」立派な屋根のある鷹山
この雛形を所蔵しておられる新古美術三嶋(寺町二条下ル)の由緒書には、
鷹山
元三条通衣棚に在り
後の祭に巡行した
天明期に破損して
元治元年(どんどん焼け)に
焼亡し現存せず
之が唯一の雛形也
当地の豪商 雁半
中村家旧花(蔵)
上水引幕に記載あり
文化一四年(西暦1817年)
烏丸三条南 坂田道重
同門人 上田吉清
両人形師の制作
中村氏と存り當家 所蔵品
以上
とあります。

雁半とは東洞院六角下ル町にあって、錦金襴諸色織物類を商っていた雁金屋半兵衛のことで、京都市の電話帳には大正の初め頃まで「雁半」あるいは「中村半兵衛」名義で載っております。
東洞院通六角下ル御射山町(古くは諏訪の町)と東洞院通蛸薬師下ル元竹田町は月鉾の寄町、東洞院通錦下ル板東屋町は長刀鉾の寄町です(祇園祭山鉾連合会(編) 1968.)。
雁半は鷹山の寄町でもないのに、鷹山の雛型を所蔵していた理由ですが、鷹山は三条室町~(三条通)~三条寺町~(寺町通)~四条寺町~(四条通)~四条東洞院~(東洞院通)~三条東洞院~(三条通)~三条室町~三条洞院~三条室町という経路で巡行していたと思われますので、雁半の前を通る唯一の曳山である鷹山の模型を作ったのではないでしょうか。
<文献>
山城屋佐兵衛(刊行), 天保02 (1831),「商人買物獨案内」, 京都府立総合資料館所蔵.
祇園祭山鉾連合会(編), 1968, 「近世祇園祭山鉾巡行志」, 祇園祭山鉾連合会・田中常雄.