元慶6(882)年6月26日 在原行平が中納言に任命@日本三代実録

卷四十二元慶六年(八八二)六月廿六日丁酉》○廿六日丁酉。任左右相撲司。中納言從三位兼行左衞門督源朝臣能有、參議正四位下行皇太后宮大夫藤原朝臣國經、參議從四位上行左近衞中將藤原朝臣有實、正四位下行左兵衞督兼播磨權守源朝臣光、從四位上行左近衞中將兼備前守源朝臣興基、從四位下行左中辨兼木工頭藤原朝臣千乘、權左中辨兼左近衞少將藤原朝臣遠經、内藏權頭從五位上兼行讃岐介良岑朝臣晨直、左兵衞佐源朝臣湛、侍從源朝臣是忠、左衞門權佐藤原朝臣清瀬、左馬助安部朝臣三寅爲左司。

中納言從三位在原朝臣行平、

參議正四位下行行右兵衞督源朝臣冷、參議正四位下行右衞門督兼近江權守藤原朝臣諸葛、從四位下行侍從雅望王、正四位下行右近衞中將兼美濃守源朝臣直、從四位上守大藏卿源朝臣定有、從四位下行中務大輔源朝臣至、正五位下守右中辨兼行大学頭巨勢朝臣文雄、右近衞少將兼行備中守藤原朝臣清經、右衞門佐從五位上兼行讃岐權介平朝臣季式、右兵衞權佐藤原朝臣敏行、從五位下行右馬助藤原朝臣恒興、爲右司。是日。以一品行式部卿兼常陸太守諱〈光孝天皇〉親王、爲左相撲司別當、以三品行兵部卿本康親王、爲右相撲司別當、兩親王、殿庭奉勅拝舞而出。」山城國稻三千束・大和國稻三千束

<文献>
日本三代実録 巻第四十二 起元慶六年六月尽元慶六年十二月. 国史大系 第4巻 日本三代実録. 経済雑誌社, 1897年.
国立国会図書館デジタルコレクション

元慶4(880)年5月28日 在原業平卒@日本三代実録

 在原行平の弟、業平が56歳で亡くなりました。美男子(体貌閑麗)だけど、放縦不拘。略無才学だけど、和歌が上手(善作倭歌)と公式記録(三代実録)に記されています。

日本三代実録 巻三十七 元慶四年五月

廿八日辛巳。従四位上行右近衛権中将兼美濃権守在原朝臣業平卒。業平者、故四品阿保親王第五子。正三位行中納言行平之弟也。阿保親王娶桓武天皇女伊登内親王、生業平。天長三年、親王上表曰。无品高岳親王之男女、先停王号、賜朝臣姓。臣之子息、未預改姓。既為昆弟之子、寧畏歯列之差。於是、詔中平行平守平等、賜姓在原朝臣。業平、体貌閑麗、放縦不拘。略無才学、善作倭歌。貞観四年三月授従五位上。五年二月拝左兵衛佐。数年遷左近衛権少将。尋遷右馬頭。累加至従四位下。元慶元年遷為右近衛権中将。明年兼相模権守、後遷美濃権守。卒時五十六。

<文献>
日本三代実録 巻第三十七 起元慶四年正月尽元慶四年六月. 国史大系 第4巻 日本三代実録. 経済雑誌社, 1897年.
国立国会図書館デジタルコレクション

貞観11(869)年5月26日 貞観三陸地震@日本三代実録

貞観三陸地震が発生し、東北地方で大地震と大津波による大きな被害がでました。

日本三代実録 巻十六 貞観十一年五月

廿六日癸未、陸奧國地大震動、流光如晝隱映、頃之、人民叫呼、伏不能起、或屋仆壓死、或地裂埋殪、馬牛駭奔、或相昇踏、城郭倉庫、門櫓墻壁、頽落顛覆、不知其數、海口哮吼、聲似雷霆、驚濤涌潮、泝洄漲長、忽至城下、去海數千百里、浩々不辨其涯諸、原野道路、惣爲滄溟、乘船不遑、登山難及、溺死者千許、資産苗稼、殆無孑遺焉。

<文献>
日本三代実録 巻第十六 起貞観十一年正月尽貞観十一年十二月. 国史大系 第4巻 日本三代実録. 経済雑誌社, 1897年.
国立国会図書館デジタルコレクション