吉田孝次朗収蔵品展「都に届いた異国の風」2016年4月14日(木)~20日(水)

吉田孝次朗前祇園祭山鉾連合会理事長の無名舎収蔵品展「都に届いた異国の風 Part 2」を見せていただいてきました。

2016年4月11日付の朝日新聞夕刊では

  • 江戸時代に朝鮮から贈られた虎の毛皮
  • 町衆が19世紀のヨーロッパの更紗で作った下着

の2作品があがっていました。
虎の毛皮については、ご存知かとは思いますが、祇園祭の山鉾の懸装品として戦国時代頃から虎の毛皮がさかんに使われておりました。上杉本洛中洛外図屏風などにも描かれております。
更紗の下着といっても直接身に着ける下着ではなく、地味な上着の下に異国伝来の派手なテキスタイルを着こんでおいて、お座敷などでここぞというときに見せて楽しむ「下着」だったそうです。

鷹山は吉田理事長に本当にお世話になっております。吉田理事長は、天保2(1831)年「祇園會 太郎山人形寫生畫幅(写生画幅)」という鷹山の御神体の掛け軸を見つけてくださいました。掛け軸のタイトルが「太郎山」となっていたので一般の人は「祇園祭に太郎山なんてあった??」となったそうです。ところが吉田理事長は、鷹山の3体の御神体の一つの樽負様に人気があって「樽負山」と呼ばれることが多く、それがなまって「太郎山」となったいきさつを知っておられたので、躊躇なく「太郎山の御神体の掛け軸」を入手されたそうです。

1831(天保2)年の「祇園會 太郎山人形寫生畫幅」は、1830年8月19日(文政13年7月2日)の文政京都地震の1年後に描かれています。この頃には鷹山は既に休み山になっていましたが、文政京都地震では長刀鉾の土蔵が壊れたほどの被害がありました。それで鷹山もきっちりとした記録を残しておかなければならないという御町内の意図があって、御神体の緻密な記録が残されたのではないでしょうか。

1782(天明2)年6月までに今の御神体と御衣装が新調され、それが1831(天保2)年の「祇園會 太郎山人形寫生畫幅」の頃まで50年あまり受け継がれていったのでしょう。1864(元治元)年の禁門の変で御神体は助かりましたが御衣装は燃えてしまいました。吉田理事長が「祇園會 太郎山人形寫生畫幅」を見つけてくださらなければ、文字情報だけから御衣装を復元することになります。絵画資料の情報量は文字資料よりはるかに多いです。吉田理事長にはいくら感謝しても感謝しきれません。

しかし復原は簡単ではありません。ゼミの学生を連れて見学に来ておられた京都市芸大の吉田先生によると、当時のテキスタイルを復原しようと思っても、同じ糸を作る技術、同じ染料を作る技術、同じ方法で織る技術など様々な技術が今では失われていることもあるそうです。江戸時代の鷹山の衣装を復原するには、糸、染料、織り方などの技術そのものの復原から始めなければならない場面さえ出てきそうです。

京都芸術センターイベントスケジュールより
京都生活工芸館 無名舎収蔵品展「都に届いた異国の風」

吉田孝次朗前祇園祭山鉾連合会理事長の無名舎収蔵品展「都に届いた異国の風 Part 2」
会期: 2016年4月14日(木)から4月20日(水)まで 10:00~18:00
会場: 京都芸術センター(京都市中京区室町通蛸薬師下ル)
無料

ギャラリートーク 2016年4月17日(日) 14:30~15:30

吉田理事長はこの展覧会を見て「町衆の高度な教養を感じてほしい」とおっしゃっています。

4月16日(土)の午前中には、門川京都市長、馳文部科学大臣らも見学にお見えになったそうです。馳文科大臣は「町衆の高度な教養を感じて」くださったと思います。

[予告]吉田孝次朗収蔵品展「都に届いた異国の風」2016年4月14日(木)~20日(水)

吉田孝次朗前祇園祭山鉾連合会理事長の無名舎収蔵品展「都に届いた異国の風 Part 2」が2016年4月14日(木)から京都芸術センター(京都市中京区室町通蛸薬師下ル)で開催されます。会期は4月20日(水)まで、10:00~18:00、無料。
吉田理事長は祇園祭の山鉾についてとても熱心に研究してこられました。その中で山鉾に飾られた懸装品と同じ種類の作品を集めてこられました。今回は吉田理事長の収蔵品の中から、17世紀末から20世紀初頭にかけて海外から輸入されたじゅうたんやタペストリーなど約150点を見せていただけます。2016年4月11日付の朝日新聞夕刊によりますと

  • 江戸時代に朝鮮から贈られた虎の毛皮
  • 町衆が19世紀のヨーロッパの更紗で作った下着

なども展示されます。

吉田理事長は「町衆の高度な教養を感じてほしい」とおっしゃっています。

鷹山にご興味のある方は、ぜひ、この展覧会をご覧になってください。と申しますのは、
鷹山の御町内の古文書(三条衣棚町文書)の中に鷹山の御神体の衣装や懸装品のリストが数点あります。例えば、
鷹山人形・飾付一式覚 天明2(1782)年6月
には、鷹山の今の御神体が作られた直後の御衣装や懸装品が挙げられています。その内容は、

  • 人形 三
    • 鷹飼 中納言行平卿 狩衣紗金黒紅鴛鴦、番繪指貫浅黄地、紫轡唐草
    • 犬飼 水干紗金松重鸚鵡、番繪袴うね精好紫、裳濃
    • 樽負 水干同断、袴綾嶋
    • 雉子
  • 飾附
    • 天水引 猩々緋雲鳳之縫 鰲山禅師之画 (鰲 ゴウ;大亀)
    • 後家臺天幕 金華布
    • 胴巻
      • 上水引 紺地滝龍蝦夷錦
      • 中水引 百花菊之唐氊
      • 下水引 白地大内古金襴形
    • 前掛 毛織り天鵞絨花氊 (天鵞絨=ビロード) 縁猩々緋縫
    • 左右 右同断 縁猩々緋蠻画縫 (蛮画;南蛮画)
    • 見送 唐縫花鳥 縁猩々緋雲鶴岩浪之縫

となっています。文字だけでは何のことかわかりにくいですが、懸装品や御衣装が作られた当時の作品を見ればイメージがふくらむのではないでしょうか。

鷹山は吉田理事長に本当にお世話になっております。吉田理事長にはいくら感謝しても感謝しきれません。

京都芸術センターイベントスケジュールより
京都生活工芸館 無名舎収蔵品展「都に届いた異国の風」

ギャラリートーク 2016年4月17日(日) 14:30~15:30

戦国時代の鷹山@河内将芳「絵画史料が語る祇園祭  戦国期祇園祭礼の様相」淡交社

祇園祭の代表的研究者の一人、河内将芳先生の最新刊です。

版元.comによる紹介を引用させていただきます。

河内将芳「絵画史料が語る祇園祭 戦国期祇園祭礼の様相」淡交社

大船鉾復興、後祭の再興で関心を集める祇園祭の歴史。現代の祇園祭の源流になる戦国時代の祇園祭の史料からその実態に迫る。
〈大船鉾復興、後祭の再興など、近年も変化し続ける祇園祭。時代の流れに適応しつつ継承される戦国時代の息吹〉

数多くある洛中洛外図屏風のうち現存最古といわれる「歴博甲本洛中洛外図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)、また国宝に指定されている「上杉本洛中洛外図屏風」(米沢市上杉博物館蔵)、また「日吉山王・祇園祭礼図屏風」(サントリー美術館蔵)の三点の屏風は、描かれている内容がとりわけ文献史料と重なる点が多い絵画史料です。本書は、その三点の絵画史料から祇園祭礼部分の拡大写真を大きく載せ、それを文献史料と照らし合わせて解説し、戦国時代の祇園祭の様相に迫ろうとするものです。
ISBN: 978-4-473-04037-4
定価:本体 1,800円+税
判型:A5

さすが淡交社。まず写真が美しいです。もちろん内容も充実しています。そして何よりも文章が易しくて読みやすいです。

私たちの鷹山についても丁寧に調べてくださっています。まず、延宝4(1676)年の「日次紀事(ひなみきじ)」によると、後祭の「くじとらず」は、先頭の「橋弁慶山」、九番目の「鷹山」、最後十番目の「大船鉾」の3つであること。当時、北観音山と南観音山は隔年で巡行に参加していたこと。

<サントリー本の鷹山は曳山だったのか?>
次に16世紀頃に描かれたサントリー美術館蔵「日吉山王・祇園祭礼図屏風」に鷹山が描かれていて、他の山と同じく松が「老松」であり、山が「二ツ山」であることを示しておられます。このサントリー本に描かれた後祭の山鉾ついて「ちなみに、この八幡山と考えられる山には、八反祐太郎氏が指摘されているように、車がついていることがわかる。(略)戦国時代の十四日山々(後祭)のなかにすでに曳山があったことを伝える貴重な手がかりとなろう」(p.113)と書いておられます。
サントリー本では、鷹山の足元は家屋に隠れて見えませんが、鷹山の上には粽を食べる樽負様、鷹を手にした鷹遣様、犬を連れた犬使様の三体の人形の他に、少なくとも六人の人間が乗っています。浄妙山にも人間が一人乗っているように見えますが、六人も乗っている山は他にありません。当時の絵画技法では縮尺を揃えることをしませんので、大きな曳山や曳鉾も小さな舁山も画面上では似たような大きさになりますが、山の上に乗っている人間の数からみると、鷹山も曳山だった可能性が高いと思います。

この本を読んで何よりもうれしかったのは、「後祭の山々のうち、鷹山(鷹野山)が現在巡行していないのは、幕末の火災にみまわれたことが影響している。それに対して、鷹山と同様、幕末以来ながらくその姿がみられなかった船鉾(大船鉾)が2014年に再興されたということをふまえるならば、鷹山が再興される可能性はけっして小さくない。後祭は、近い将来、戦国時代の姿に近いものとなるのかもしれない」(p.163)と書いてくださっていることです。

他の山鉾と同じく鷹山も江戸時代に豪華になり、鷹山が巡行しなくなる直前は、黒漆塗で破風裏が金という立派な屋根をもつ曳山でした。当時の絵画(横山華山、冷泉為恭など)や雛形(模型;三嶋蔵)、それに三条衣棚町文書という鷹山御町内の江戸時代の文書1万点以上も残っております。近世の山鉾の模型というのは、案外、研究が進んでいない分野に思えます。次は近世の祇園祭についてまとめていただければ、鷹山を復興する上で非常にありがたいです。