鷹山の居祭(いまつり)~祇園祭、後祭の宵々山と宵山

IMGN3894KCm鷹山の居祭~2014年は祇園祭後祭の宵々山と宵山(7月22日、23日)17:00~

鷹山は応仁の乱以前から巡行していた歴史のある山で、光孝天皇が仁和2(886)年12月14日に芹川に行幸された時にお供した中納言在原行平の鷹匠姿を模したものであると言い伝えられています。この鷹狩りの様子は伊勢物語の第114段にも活写されていて

翁(おきな)さび 人なとがめそ 狩衣 けふばかりとぞ 鶴(たづ)も鳴くなる

という行平さまの和歌も有名です。

お人形は、向かって左が鷹遣(たかつかい)中納言在原行平(ありわらゆきひら)卿、中央が樽負(たるおい)様、右が犬飼(いぬかい)様です。
特に人気があったのは、中央の樽負様で、手に持った粽(ちまき)を食べるカラクリ仕掛けだったそうです。そのため「樽負(たるおい)山」とか「太良(たろう)山」と呼ばれることもありました。

鷹山は、時代によって舁山(かきやま)だったり曳山(ひきやま)だったりしましたが、江戸時代の中期には屋根のついた大きな曳山になり、南北観音山や岩戸山のように囃子方が山に乗って祇園囃子を奏でておりました。

ところが鷹山は文政9(1826)年の巡行の時、大雨にあって破損したとされ、翌年から巡行に参加しなくなりました。その後は、町家(ちょういえ;町会所)で人形飾りだけを行う「居祭(いまつり)」を200年近く続けております。

現在の祇園祭には前祭、後祭あわせて33基の山鉾が出ておりますが、鷹山のようにお囃子とカラクリのある曳山は他にはありません。

藤舎名生「笛によせて」~第6回 祇園祭「鷹山の歴史と未来を語る会」~鷹山囃子方の通し稽古

第6回 祇園祭「鷹山の歴史と未来を語る会」

テーマ「笛によせて」お話と演奏
講師 藤舎名生

2014年07月15日(火) 19:00~20:30
ちおん舎(中京区衣棚通三条上ル)  
会費1000円、茶菓の準備あり

18:00~ 練習会 鷹山囃子方
19:00~ 通し稽古 鷹山囃子方
19:30~ 「笛によせて」藤舎名生

祇園祭の休み山は鷹山と布袋山の二つだけ

祇園祭では前祭(さきまつり;7月17日巡行)に23基、後祭(あとまつり;7月24日巡行)に10基、合計33基の山鉾が巡行しますが、これ以外に「休み山」というのがあります。休み山とは、実際に巡行した記録はあるのですが、何らかの事情で巡行を休んでいる山のことです。
従来は、大船鉾、布袋山、鷹山の三つが休み山だったのですが、大船鉾が復興し2014年の祇園祭から巡行に加わりましたので、残っている休み山は布袋山と鷹山の二つだけです。

布袋山の関係の方がブログを作っておられて、良いお写真を載せておられるので、写真をお借りしても良いかおたずねしたところ快諾を得ましたので紹介させていただきます。記事も布袋山メインに書き換えました。
559fcbbc44139e8971bb43e70d259769e612b3dd.53.2.9.2布袋山の居祀り

布袋山は応仁の乱の後の最初の山鉾巡行だった明応9(1500)年に
「十九番 布袋山四条坊門町と室町と間也」
として加列したことが八坂神社の記録に残っているそうです。
四条坊門は今の蛸薬師通に相当します。布袋山をお守りしておられる姥柳町は蛸薬師通の室町と新町の間ですから場所も一致します。

imgfa7fe977zik2zj布袋山の見送り

布袋山は、その後もたびたび大火の被害にあいながら布袋尊様像などを大切に守り通してこられました。
大火で櫓(やぐら)や懸装品(けそうひん)を焼失したのは鷹山も同じです。
京都の通りの名前を覚える童歌
「姉、三、六角、蛸、錦、四、綾、仏、高、松、万、五条(あねさんろっかくたこにしき、しあやぶったかまつまんごじょう)」
がありますが、鷹山がある三条室町と布袋山がある蛸薬師室町は2筋、約250メートルしか離れていませんから大火があれば同じように類焼するのは当然ですね。

布袋山保存会のホームページ 布袋山保存会

布袋山の関係者の方が書いておられるブログ TREK-Y5
布袋山の居祀り(2014年) 「布袋山の居祀り」
布袋山の櫓(2012年) 「布袋山 復興願う櫓」
布袋山の見送り(2011年) 見送り(山鉾の櫓の後ろ側に掛ける懸装品のこと)

布袋山と鷹山はわずか250メートルしか離れていないのですが、鷹山では「居祭」と書くのに布袋山では「居祀り」と書いておられます。他にも色々違いがあるのでしょうが、一番大きな違いは、鷹山は後祭(7月24日巡行)なのに布袋山は前祭(7月17日巡行)なことですね。