宝暦7(1757)年 簡単な屋根のある鷹山@祇園御霊会細記


愛媛大学鈴鹿文庫所蔵「祇園御霊会細記」より引用

宝暦7(1757)年の「祇園御霊会細記」に簡単な屋根のある鷹山が描かれています。版心(折り目の部分)の書名は「祇園會圖」となっています。

京都府立総合資料館の京の記憶アーカイブにも「祇園會細記」として公開されています。鷹山は29枚のうちの23枚目で、大きな画像で見ることができます。

鷹山(たかやま) 三条新町東へ入町

鷹狩(たかがり)の体(てい)を風流に作りなしたる也。
鷹つかひ、犬つかひの人形あり。
又一人の従者、樽を負(をひ)、手(て)に粽(ちまき)を持(もち)て食(く)らふありさまおかしげなり。
故(ゆへ)太郎山(たらうやま)とも樽負山(たるおひやま)ともいふ。

と鷹山の説明があって、最後に

古歌に
堂津とりの人を引こ須落草に
犬よひかはしあさ流狩人

(たつとりの ひとをひきこす おちくさに いぬよびかわし あざるかりひと)
と書かれています。

この歌は、藤原為家「七社百首」におさめられた歌ですが、芹川(京都市)の行幸を詠んだ歌ではなく、交野(かたの;大阪府交野市)での狩りを詠んだ歌です。詳しくは別記事をご覧ください。

宝暦7(1757)年に「祇園御霊会細記(別名、祇園會細記)」が出版された頃は、鷹山の風流は、在原行平の芹川の鷹狩とはみなされてなかったのかもしれません。

<文献>
祇園會細記」宝暦7年(1757) 、京都府立総合資料館蔵(京都文化博物館管理).

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