享保2(1717)年頃 巡行は東洞院通から出発@京都御役所向大概覚書

享保2(1717)年頃に成立した「京都御役所向大概覚書(きょうとおやくしょむきたいがいおぼえがき)」の中に祇園祭の山鉾巡行についての記述があります。

一 長刀鉾
(略)
一 岩戸山 新町通佛光寺下ル町
右者六月七日御出、朝五ツ半時、鉾山四條通東洞院ニ而揃、四條東江、寺町南江、松原西江、東洞院
迄、夫より銘々町々江戻り申候、同日昼八ツ半時祭礼、本社より神輿三基四條通を西江、寺町旅所江
神幸。

十四日神事
一 橋弁慶山 四條坊門通烏丸西江入町
一 鯉山 室町通六角下ル町
(略)
一 鷹山 三條通室町西江入町
一 船鉾 新町通四條下ル町
右者六月十四日、朝五ツ半時、山三條通東洞院ニ而揃、三條東江、寺町を南江、烏丸迄夫より町々
江戻り申候、同日昼祭礼四條寺町之旅所より神輿三基共四條通西江、(略)

現在の巡行は烏丸通あたりからスタートする印象がありますが、江戸時代は東洞院通が出発点だったことが確認できます。東洞院を出発する時刻は、朝五ツ半。旧暦の6月なら午前8時前ぐらいでしょうか。前祭の巡行は寺町通東洞院まで、後祭は四条通烏丸までで、その後は銘々がそれぞれの御町内に戻りました。

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