仁和3(887)年8月26日 光孝天皇崩御@日本三代実録

前の年の12月に在原行平と芹川に鷹狩に行かれた光孝天皇が崩御されました。58歳でした。光孝天皇の治世はわずか3年。55歳という当時としては高齢で皇位におつきになった天皇でした。三代実録はこの日で終わっています。

廿六日丁卯。天皇聖體乖豫。是日。立第七皇子諱(宇多)。爲皇太子。策曰。天皇《我》詔旨《良万止》勅命《乎》、親王諸臣百官人等天下公民衆聞食《止》宣。隨法《爾》可有政《止志天》。定省親王《乎》立而皇太子《止》定賜《布》。故此之状《乎》悟《天》。百官人等仕奉《禮止》詔天皇《我》勅旨《乎》衆聞食《止》宣。」是日。巳二刻。天皇崩於仁壽殿。于時春秋五十八。

光孝天皇の第7皇子の定省親王は臣籍降下して源姓になっていましたが、光孝天皇が崩御される前日の25日に皇籍に戻られ、崩御された26日に皇太子になられ、践祚され、11月に即位されて宇多天皇となられました。年号も寛平(かんぴょう)と改元されました。藤原氏の勢力が大きくなってきた時期で、後に宇多天皇は関白藤原基経との権力闘争(阿衡事件)を起こしますが、891(寛平3)年に基経が亡くなった後は「寛平の治」と呼ばれる天皇主導の政治改革を行います。894(寛平6)年に遣唐使が廃止されたのも宇多天皇の時代です。

<文献>
日本三代実録 巻第五十 起元和三年正月尽仁和三年八月廿六日. 国史大系 第4巻 日本三代実録. 経済雑誌社, 1897年.
国立国会図書館デジタルコレクション