鷹山略年表

(三条衣棚町文書の後の4桁の数字は、府立総合資料館が付けた資料番号)

1500(明応9)年 祇園会再興 鷹山は後祭の最後尾(10番め)『祇園会山鉾事 』の「ほくの次第 」 凱旋船鉾は不参加

寛永年間 京都国立博物館蔵「祇園祭礼図絵巻」屋根のない曳山(観音山も屋根なし)

正保年間 永青文庫蔵「祇園祭礼図絵巻」屋根のない曳山(観音山も屋根なし)

1708(宝永5)年 宝永の大火

「宝永花洛細見図」 6巻 屋根のない曳山(観音山も屋根なし)

1723(享保8)年 三条衣棚町文書7969「鷹山からみ請取手形」 (鷹山に関係する三条衣棚町文書のなかで最古のもの)

1770(明和7)年 ご神体をお納めする箱の箱書き

1776(安永5)年 車輪を前祭の船鉾と共用 三条衣棚町文書7981,7982「鷹山車輪預り証文」

1782(天明2)年 屋台新調 三条衣棚町文書8096「祇園会入拂帳(鷹山町)」元文4(1739)~天明2(1782) 他

1788(天明8)年 天明の大火(1月30日)町内の家屋は焼失したが、鷹山の御神体、屋台、懸装品は消失せず(?)

1788(天明8)年 舁山として巡行 三条衣棚町文書8088「鷹山焼失につき舁山願口上書案 鷹山町→雑色」

1798(寛政10)年 曳山に戻す 三条衣棚町文書8109「口上覚 鷹山去申年焼失のところ当年如元曳山致度」

御衣装、懸装品、櫓などについて、書き出し、道具類の預り覚え、定式扣、諸用扣などの記録が三条衣棚町文書に多数あり

1817(文化14)年 寺町二条下ル三嶋新古美術蔵「鷹山模型」立派な屋根のある鷹山。ご神体の衣装は三条衣棚町文書に一致するものなし。

1826(文政9)年 三条東洞院で夕立にあったとして巡行中止 三条衣棚町文書8122「鷹山破損ニ付諸方掛合」文政9年の項

1827(文政10)年 懸装品を汚損したとして居祭になる 三条衣棚町文書8016~8025ほか 「鷹山破損につき神事不出、、

1830(文政13)年 京都地震

1831(天保2)年 公益財団法人鷹山保存会蔵 「祇園會 太郎山人形寫生畫幅」 鷹山のご神体衣装の詳細 (2008年7月16日付 京都新聞)将来の震災等により御神体や衣装が破損する可能性を考えて作成?

1832(天保3)年 年中行事大成(速水春暁斎)四 立派な屋根のある鷹山

1834(天保5)年~1837(天保8)年頃 横山華山筆「祇園祭礼図巻(祇園祭禮眞圖)」個人蔵
立派な屋根のある鷹山。「真図」の名前通り、ご神体の衣装なども町内の文献と一致。現在、曳鉾には禿柱(かむろばしら;中央の柱の支え)があるが、曳山には禿柱はない。本図には鷹山と南観音山に禿柱がある点に注意が必要。北観音山は描かれていない。

1848(嘉永元)年 冷泉為恭 筆「祇園祭礼絵巻」國學院大学蔵 立派な屋根のある鷹山
http://www.kokugakuin.ac.jp/oard/4_m0687.html
http://k-aiser.kokugakuin.ac.jp/digital/diglib/gionsairei/gionsairei_66.html
ご神体の衣装は三条衣棚町文書に一致するものなし。冷泉為恭の理想を描いたきらいはあるが、史実を反映した描写もある。例えば当時のチマキは食べられるチマキで、鷹山では粽屋川端道和や笹屋津田近江から毎年100把程度を購入していたが、囃子方が鉾から粽を投げるのがよろしくないとして囃子方に粽を渡すときは粽をむいて渡すことにした(三条衣棚町文書8101 「鷹山當家諸用扣 北町」 天明4・ 1784年の貼紙として)。本図では函谷鉾、放下鉾、北観音山が粽を投げて渡しているのに対し、鷹山では粽をつるして渡している。

1854(元治元)年 禁門の変 ご神体を穴蔵に入れて難を逃れる 三条衣棚町文書8122「鷹山破損ニ付諸方掛合」元治元年の項

2012年10月 「第1回 鷹山の歴史と未来を語る会」開催
2014年3月 鷹山の囃子方を結成
2015年5月 一般財団法人「鷹山保存会」設立
2016年1月 公益認定をうけて公益財団法人「鷹山保存会」となる
2016年4月 祇園祭山鉾連合会に準加盟
2016年5月 鴨川床開きで鷹山保存会の祇園囃子
2016年6月 鷹山調査委員会 第一回会合